日記

日記など

小川洋子先生の朗読会に行った話

エッセイ『博士の本棚』に、朗読会を開催したことについて書いてあった。ふと思い立ち、『小川洋子 イベント』と調べると、なんと1ヶ月後に岐阜で朗読会と対談会があるという。先生と交流がある物理学の教授との対談について、「小川洋子さんの飾らない普段の様子が感じられるとても楽しく貴重な機会となることでしょう」と書いてあった。形式的でない、だからといって馴れ馴れしいわけでもない、その一文がとても気に入り何度も読み返した。そして、岐阜までどのくらいかかるのか、現実的に参加出来る場所なのかなど考えず、申し込みフォームのページに移動した。

 

新横浜から新幹線のぞみで名古屋へ。特急ひだに乗り換え2時間半。もりもりとした山の斜面をたくさん通り過ぎた。川の水は透き通り、浅い部分は青緑がかってみえた。河原の砂利石は、頭の中で思い描くそれより白く、なんだか不思議だった。

高山駅校舎はモダンな建物で拍子抜けした。あまりにも遠い場所なので、勝手に古びた小さな駅を想像していたのだ。木材を多く使っている内装は広々として明るい。飛騨産のヒノキを使っているらしい。外から吹き込んでくる風は木の匂いを含み、澄んだ冷気は昔家族で行ったスキー場を思い出させた。

高山駅からバスで北へ50分。うねる山道をガタゴトと走る。畑、小屋、その脇に積んである薪、朽ちた建物、セメント工場のタンク、いろいろなものが窓を流れていったが、どれもその背景には山が迫っていた。空は山の輪郭をくっきりと浮かび上がらせている。途中、現在地を確かめるために地図アプリをひらいて初めて気付いた。向かう船津座のある神岡町は四方を山に囲まれていて、まるでパズルのピースが間違っている時にできてしまう隙間のようだった。ルートを示す黄色い線は、高山駅から出発しギザギザと心もとない線を描きながら、でも間違いなくその隙間を指している。なんのためにバスに揺られているのか、今からなにをしに行くかは頭から抜け落ち、なんだかとてつもなく遠いところへ来てしまった、と途方に暮れるような思いがした。

神岡・船津座で降りる。小さな町の中にあるバス停だった。お昼すぎだったが、町は眠っているように静かだった。歩くとすぐ、目的の船津座が見えてくる。石垣と水路に囲まれた木造の建物で、旅館のような雰囲気だ。入口にまわると、建物に沿って川が流れていた。そのすぐ向こうは青々とした木々が覆っている。川岸の砂利石はやはり白かった。

入ってスリッパに履き替え入ると、すぐ左手に休憩スペースがあった。部屋の真ん中で座敷とテーブル、半々に分かれている。窓からは午後の光が眩しく差し込み、その中で集まって談笑したり囲碁を打っている人たちがいた。バス停に降りたったときに感じた静けさに比べると、この人たちはどこからやって来たのだろうと思うくらいには賑わっていた。テーブルについて受付開始の時間まで待っていたが、緊張から浮き足だっているのは私だけのようでなんだか場違いな気がする。じっと待っていられず、無意味にバッグの中を整理していた。

そろそろ開場するだろうか、と休憩室をでると、彼らもまたどこからやって来たのだろう、私と同じようにそわそわと浮き足だっている人たちがすでに列を作っていたのだ。中には本を胸に抱いている人もいる。本や作家を目的に集まるような場には初めて来たため、独特の雰囲気に息が詰まりそうだった。会場に入り席に着いても落ち着かず、緊張はいっそう高まり息が苦しくなるほどだった。早く始まって早く終わらないか、などとめちゃくちゃなことを考えながら、ステージを睨んでいた。ステージにはホワイトボード、机と椅子、そしてブーケが置かれた台。ブーケの色は黄色やピンクでまとめられている。そうだミモザだ、と私は思い出した。イベントの参加を申し込む際、事前質問の入力欄があった。『小川洋子さんの朗読会-神岡と宇宙と文学と-』というタイトルを眺めて、神岡か宇宙にちなんだ質問をと一応考えてはみたものの、なにも思い浮かばなかった。結局入力したのは、「小説によくミモザがでてきますが、ミモザがお好きなんですか。」という、「はい」か「いいえ」で答えられるようなものだった。

司会の女性がでてきた。このころには、私は緊張で疲れてしまっていた。その上、背もたれにつかないように懸命に伸ばしていた背と腰がきしんで痛かった。女性が録音や撮影の禁止など簡単に注意事項を述べ、拍手を促すと、ついに小川先生が登壇した。文庫本のそでの著者近影で何回もみた人物がそのまま立って歩いている様子に、私はなぜか安心し、背もたれに背をつけ、一言一句聞き逃さないよう耳に神経を集中させた。

朗読の前に、先生は『博士の愛した数式』の簡単なあらすじを紹介した。とても耳馴染みの良い声だと思った。今まで彼女の声を聞く機会はなかったが、なぜか聞いたことがあると思えた。そういえば小説を読んでいる時、私の頭の中ではこの声で文字が読み上げられていたのだ、と錯覚してしまうような、どこか懐かしい声だ。私の思考が逸れたとき、急に低い声が聞こえた。博士のセリフだ。

「君の誕生日は何月何日かね」

朗読とはそういうものなのかもしれないが、突然自分の意思とは関係なく物語に吸い込まれたような感覚に困惑した。家政婦さんの誕生日220日と博士の腕時計の裏蓋に刻まれた番号284が友愛の契りを交わす重要な場面。私の主観でしかないが、先生は朗読がうまかった。博士と家政婦さんとで声色を変え、地の文はハキハキと一言一句聞きやすく、しかし文末はどこか静かで思慮深く響いた。

続いて『あとは切手を、一枚貼るだけ』を朗読すると、登場する男女二人の運命的ともいえる出会い方について先生は「出会える人数が限られている人生で、こうやって人と人が出会えることは神様の計らいだ」と言った。先に朗読した場面で、博士は友愛数について「神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字なんだ。」と家政婦さんに説明する。人知れず友愛の契りを交わす220284と純水を湛えたスーパーカミオカンデのプールで出会う2人とが、等しく神様から計らわれ、神様にしか見えないチェーンでつながり合っている。私は、世界で、誰かに見つけられるのを待っているでもない、ただ息を潜めている、神様のチェーンでつながり合っているものたちを思って胸がいっぱいになった。

第二部の対談会が始まるころには、私はすっかり緊張がほぐれ、どんな話が聞けるかワクワクしていた。「小川洋子さんの飾らない普段の様子が感じられるとても楽しく貴重な機会となることでしょう」......。なるほど、大橋博士(正真正銘本物の博士だ)との対談は、たしかに和やかに進み、冗談を言い合う場面もあった。神岡町スーパーカミオカンデについて、小説を書くことについて、そして小説の役割について......。先生の左手中指で緑の石がはいった指輪が、ステージの光に反射してときどき鋭く光っていた。

さてひと段落した、といったときに大橋博士が、「そろそろみなさんの質問に答えていきましょうか」と言った。事前に集めたもののなかから、小説家になろうと思ったきっかけはなにか、というお手本的な質問に先生が答えると、大橋博士は「ほかになにか聞きたいことがあれば手をあげてもらって」と言った。急にこちらに投げかけられたものだから、あまりにも無防備だった私は、わあ、と小さく呟いてしまった。もっと有意義な質問のほうが良いのだろうか、ミモザなんて......そもそも小説にミモザが頻繁にでてくるのは私の思い違いなのでは......。手を挙げる想像をすればするほど、心臓はどくどくと音をたて、手は冷たく震えた。

司会の女性が「盛大な拍手を」と言い、文字通り盛大な拍手につつまれ2人は退場した。手を挙げなかったことに、これで良かったのだ、と自分を納得させつつ、席をたち会場をあとにしようとしたとき、「小川洋子さんがご好意でサイン会をひらいてくださります」という声が聞こえた。

サイン会は、あの休憩スペースで行われた。本を抱えた人たち10人くらいが列をなし、私は3番目だった。会場の人か、先生の関係者かが「名前を書いてもらいたい方は事前に紙に書いてください」と言った。震える手で裏紙に名前を書くが、もちろんうまく書けるわけがなく、一度書き直したが無駄だった。縦線であるはずの一画目は不格好に折れ曲がり、それ以降の部分でなんとかその字だと分かった。

先生が入ってきた。テーブルにつき、サインペンの蓋をあけ、サイン会は始まった。一人目の男性は慣れた様子で、よどみなく話し続けながら4冊ほど次々と先生にサインをもらっていた。その次の女性は涙ぐみながら、図書室の司書をやっていること、先生の本が大好きであることを伝えていた。先生は「図書室は息子の砦だったので恩があるんです」と微笑んでいた。いざ私の番となると、手はいっそう冷たくなり震えた。名前を書いた紙とサインしてもらう本を先生に渡した。朗読した『博士の愛した数式』と特に好きな『猫を抱いて象と泳ぐ』だ。先生は、私の不格好な字をみて「これは日曜日の『日』?」と聞いた。もっと綺麗に書けばよかった、と酷く後悔しながら、はい、と頷いた。先生は「かわいらしい綺麗なお名前ですね」と呟きながら、折れ曲がった一画目を太いサインペンで上からキュとまっすぐなぞった。ステージの光で緑に見えていた指輪の石は、近くで見ると紫だった。こんな近くで話すことができるのはもう今後ないかもしれない、先生の作品が大好きです......そうだミモザミモザ......。考えるほどまわりの沈黙は痛く、列に並ぶ人たちが、先の私のように耳をすませているような気がした。私の名前の横にサインをし、もう日付を書くところに差し掛かっていた。ミモザについて聞くことは諦めるしかなかった。「神奈川からきたんです」とやっとのことで言うと、「まあそんなはるばる遠くから......一番前で聞いてくださってましたよね、ありがとうございます」と先生は言って、本を私に返した。立ち上がった先生は小柄で、握手した手はさりさりと暖かった。

外に出ると夕方の気配が迫っていた。空はまだ青いものの、うろこ雲はうっすらと色付いている。サインしてもらった本を取り出す。「かわいらしい綺麗なお名前ですね」と言われたことが素直に嬉しかった。ふと、裏紙に書いた私の名前をみると、『日』の太い一画目はまっすぐ地に足をつけ、箱になっている部分を支えている。山に囲まれた神岡町で、私の名前が光っていた。