日記

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フグとランデブー

駅から学校へ向かう道中に、フグ料理屋がある。店先の水槽では、死にかけたフグと死んだフグが浮いたり沈んだりしていて、私はこれが苦手なのだが、必ず見てしまう。フグと目が合うと嫌だから、仕方なく口を見る。すると、生白い半開きの口が無数に浮き上がって見えてきて、気持ち悪くて仕方がなくなってくる。それで口から目を逸らすと、フグの全貌を捉えることになり、結局嫌な気持ちになるのだ。泳いでいないフグの、あの、かたそうな感じ。固形感とでも言うんだろうか、あまりにも死体すぎる気がする。泳ぐフグをちゃんと見たことがないから分からないが、死んでいる方がずっと、ずっと、輪郭が濃い。私がもつ死のイメージは、こう、ぼんやりと空気に染み出していくような、霧散のようなものであるのに対して、死体となると急に実体をもって訴えかけてくるようなのだ。

今日もいつも通り、私は水槽を確認した。日々フグの数には多少バラつきがあるのだが、今日は明らかにフグの数が多かった。クレーンゲームのぬいぐるみのようにフグが並んで積まれていて、それが水槽の1/3を覆っている。そしてその1番上には頭から刺さっている1匹のフグ。フグというか、死んだフグ、フグの死体。それら全てが、ろ過フィルターから発生している水流に合わせて、ひとかたまりのままゆりかごのように揺られていた。途端、私の皮膚の下、皮の中身という感じの部分が一瞬でカーッと熱くなるのを感じた。心臓は風船のように身体いっぱいに膨らんで、いまにも皮膚を破ろうとしている。身体全体がバクバクと鳴っていた。すごく嫌なものを見たぞ、と思いながら、足早に水槽を通り過ぎ、イヤホンから流れる曲に集中する。ちょうど“ランデブー”と歌っているところだった。ランデブーランデブー......ランデブーってなんだっけ。考えているとランデブーはラプソディの親戚な気がしてくる。ラプソディは「狂詩曲」だから、ランデブーもきっとなにかの曲なのだ。ランデブーって言葉自体なんか短調っぽい、きっと暗いんだ。「死奏曲」みたいな......お、なんかそれっぽいぞ、“2人でランデブー”......なるほど、退廃的な歌詞なんだなこの曲......。死を奏でる曲にあわせて、水槽のフグたちがゆりかごに揺られていた。